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ユニオンネットワーク・京都にとっての大美堂闘争_田村

ユニオンネットワーク・京都にとっての大美堂闘争

 ①京ガス、第一物産、続く三度目の職場占拠闘争の集約的闘争

  ⅰ)06年 京ガス争議⇒ガス会社の特別清算、33名で90日間の職場占拠

 

 ②勝ち目があろうが無かろうが労働者としての怒りを示すことの大切さ、みづからの生存権、労働権の尊重が無ければ、他人の権利も守れない。⇒中小零細では特に大事
  ⅰ)無責任は経営に対する徹底追及、実力で社長に誤らせる。労働者を好き勝手にさせない。

 

  ⅱ)労働者としてけじめをつけなければ次の生活が始められない、争議の原点の確認

 

 ③企業内少数派組合の可能性の示唆
  ⅰ)多数派から少数派、破産を転機に多数派へ
  ⅱ)弱い者いじめを許さない、中退共の積み上げ、少数派だがた大美堂労働者の権利と生活を現実に守り続けた
ⅲ)去るものは追わず、来るものは拒まず、「弱者」を守り自分たちのためだけではなく、全員のために闘う「やわらかな団結」
 ④ユニオンネットワーク・京都を媒介にした支援・共闘構造の確立
  ⅰ)コミュニティーユニオン関西ネットや大阪ユニオンネットワーク等の共闘
  ⅱ)全印総連加盟と京都総評の主体的取り組みなどで広範な結集
 ⑤闘争終了後の組合員の離散、労働組合として残った人々の少なさ
  ⅰ)破産、倒産闘争は、職場占拠や労働債権獲得が闘争の決着点ではない、失業者になった労働者が再就職し組合員として活動を計測できるかがポイント、その点では課題は残る・・・。闘う労働組合員を何人残したのか。
  ⅱ)大美堂労組の地域合同労組のとしての継続、もしくは地域ユニオンの大美堂労組支部としての存続
 ⅲ)「やわらかな団結」にいざなう日常的な導水路の確立とその維持は未完

 ユニオンネットワーク京都にとって、大美堂闘争とは、京ガス、第一物産に続く三度目の職場闘争の集約的闘争でした。
 06年に洛南ユニオンで、京ガス争議(ガス会社の特別清算)というのがあって、33名で90日間職場占拠を行いました。親会社はダイダンです。100%子会社だったんですが、親会社が京ガスに何億もの金を貸した時は担保を取っていませんでした。工場も担保に入っていなかったので、特別清算するときに「そこ売ったらカネになるやろ」と攻めあげて、徴収しました。
07年の第一物産の闘いは基本的にマッサージ師さん達の戦いです。ビルの2階で20数名の人たちが90日間の職場占拠をしました。
 勝ち目があろうが無かろうが労働者としての怒りを示すことの大切さ、自らの生存権労働権の尊重がなければ、他人の権利も守れない。口で「経営の無責任を許したらアカン」といいますけれども、やっぱり破産という事態になってとことん(闘争)やる姿を多くの労働者に向けて、こういう風に戦うんだと口先だけではなく行動で表すということが大きな意味があります。

 

 そういう意味で実力で社長に謝らせるとか、労働者を好き勝手にさせないとかが大事です。
 労働者としてけじめをつけられないのであれば、次の生活が始められないという争議の原点を確認できたということ。みなさんよく理解されていると思いますが、結局これが一番大切那出発点であり、到着点だと思います。やっぱり最初から勝ち目があるわけでもないし、展望があるから始めるわけでもありません。(そういうのがあればいいのですが・・)。展望がなかったとしても、「このまま黙ってられへん」というのが闘いの原点だと思います。(大美堂闘争は)怒りを表に出した闘いだったということがユニオンネットワーク京都にとっても大きな意味として感じることができました。

次に企業内少数派組合の可能性の示唆ということですが、これはものすごく見事だと感じることがあります。
最初は多数派、そこそこ人数が多くたぶん過半数を超えていたと思います。だんだん人数が減ってきて少数派になった。しかし、破産を転機に多数派に盛り返した。多数派の時代が短く、少数派の時代がずーっと長かったと思います。

しかし何にもしていなかったら、そんなこと(多数派に盛り返す)ことはなかったと思います。弱い者いじめを許さないとか、人間を人間として扱う。労働者は労働者として扱うということについて、奥田さんは何にもましてそれを優先してきたからこそ、組合のスタンスの優位性になったのではないか。そこが信頼を勝ち取っていく一つの出発点であると思っています。
それからもうひとつ(多数派に盛り返す)大きな要因は、中退金の積み上げです。たった5人しかいない組合なのに、毎年毎年中小企業退職金共済の積立金を交渉して、かなりの数字にあげてしまったわけです。これが倒産争議のときにすってんてんにならない一番大きな要因です。たった5人の組合員が少なくとも20数年少しずつ積み上げてきたことがものすごく大きなことです。だれが何と言おうと、少数派だとケチつけられようがきちんとそういう形で、破産に備えて、その時の退職金をちゃんと備えてきたということはものすごいことです。そんなことはめったにないことです。

「去る者は追わず、来るものは拒まず」で、弱者を守り自分たちのためだけでなく、全員のために闘う「やわらかな団結」。これは奥田さんに全面的に学びました。
そして、倒産争議の前に「規律」が大切なんです。抗議行動などは絶対に出てくるようにして、もし出てこなかったら電してでも参加してもらい、何で出てこなかったのかを徹底的に追求し、全体が規律を守るようにしました。組織的に強いユニオンというのは、大衆行動とか組織行動とか闘いのかなめなので、これに参加しなかった場合は、かなり強い指導をします。
そういうことばかり見てきたので、「・・・去る者は追わず」ではらちが明かないのではと思いましたが、徐々に徐々にそれは一つの考え方だなと感じました。そういう形でやっていたとしても、度奥田さんたちは一日も怠けずに300数日間の泊まり込みを実現して闘ってきたのですから、何よりも結果そのものがその正当性を示しています。
ユニオンネットワーク京都を媒介にした支援共闘構造の確立として、全員総連加盟と京都総評の主体的取り組みなどで広範な結集ができました。

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