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 いま若い世代にヘイトスピートとかいって、外国人の差別キャンペーンが出てきているのも事実です。労働組合などの運動に対して反動的になっている。僕からしたらそういう風になってほしくない。罵声を吐いたり、脅迫的なことを言ったり。何で若い世代がそういう人格を傷つけたり平気でやっている。「そういうことはアカン」と言ってしまったら終わりなんです。そういう人間がいるのはなんでなのか?同じ人間でありながら人格を傷つけたり、差別・いじめ。何で差別するのか、なんでいじめをするのか。そのへんを掘り起こして考えていく人間でない限り、ああいうヘイトスピーチする人間はなかなか変わらないと思います。ドイツでもそういうファシスト的な団体があるしギリシャでも難民が来たら助ける人がいる一方、追い出す人もいる。日本でも外国人を排斥する人がいる。
 僕等とは明らかに違う。どこでどう違って生きたのか。職場の中でそういう教育をしていかないといけない。そういったことは労働組合が唯一できる団体だと思います。もちろん経済闘争も大事だと思いますが、人間の生き方の教育だとか哲学的な教育というか階級的な教育ということをやっていかない限り、選挙で流されてしまうと思います。
個別の闘いの中でどういう人間性というか階級性を持った人間を作っていけるのかということが労働組合として要求されていくと思う。
 考え方はいろいろあってもいいんですが、人間としてやってはいけないことがあると思います。人を傷つけたらいけないとか、人を殺したらいけないとか、差別してはいけないとか、そういう人間としてやってはいけないことを今現実ヘイトスピーチというかたちでされている。そういう現実をどう変えていくかというのは、労働組合運動として変えていけるのではないか。少数であれ職場の中でやらなければならないのです。
 「大美堂の組合は奥田の組合」だといわれていました。「奥田の組合」なんて個人の名前が出てきたらいけないと思うのですが、でも誰か引っ張っていかなければならない。そうしないと労働組合というものが成り立たない面もあります。大衆的な組織だけれど指導する人がいる。この場にいる人(このサイトを観ている人)は目的意識を持っている。そういう人達がどういう風に引っ張っていくのかを模索してやっていかない限り、社会はマスコミなどにすぐに流されてしまいます。
 大美堂の闘争で「ロマンと愛」というキャッチフレーズがつきました。やっぱりネ、闘争の中にロマンと愛がなければならないのです。闘いを以って楽しむというか、当時はみんなものすごく楽しんでいた面もありました。
 私のことゆるキャラという人がいます。人間、基本的にそんなに強いことはないし、弱いもんだと思います。仲間同士でくっつき合わなければいけねいところもたくさんあります。まして職場の中で労働者は孤立しています。いまPP社なんて一人で頑張ろうという人もいるんですがそれを支えようという仲間もいない。僕等は支えることができても基本的に同じ職場ではないので、やっぱり一緒に働いている職場の仲間が支えあわなければ労働運動には発展しないし組織は大きくならない。そのことが今のブラック企業に限らず、大手の企業やらがいわゆる自己責任という形でばらばらにされ団結しようものならパージしていく。
 僕等の時代(70年代)にはそういうことはありませんでした。「団結しよう!」と言ったら、みんな「団結しよう!」と返ってきましたが、いまでは「団結しよう!」と言ったらみんな離れていく。その辺の問題は教育がものすごい大きなウエイトを占めています。自民党が教育を握っているというのは支配としては正しいんです。
 闘争自体は自己満足的に闘います。僕等も基本的に自己満足という形でやってきました。「人のためにやっている」という発想では闘争は続かないと思います。自分のためにやるというのが基本的に大事です。運動をするにも、生きるということにしろ、自分が好きではないと最終的には「自分なんてどうでもいいから死のうか」ということにもなります。自分をまず愛して、家族を愛してということが一番力になると思います。

組合運動は自分のため_奥田

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