UnionWorkshop
周りが支えてくれたことに感謝_奥田
(組合員)5人の中でやってきて、2008年6月27日一時金の要求をしていました。
社長がみんなを集めて要求に対して何か言うのかな?
「また今年も出ないから、ごめんなさい」というのかな。
と思っていたら、南弁護士を連れてきて、
「不渡りが出るから会社が倒産です。」と、
「後はこの弁護士に訊いてくれ」と社長は、すぅ~っといなくなった。
あまりにも突然でした。
30年も働いていたら、労働者にとってその職場は住まいのようになるものです。
「突然やってきて出て行けと言われたところで出ていかれへん」
「何でオレら出なあかんねん」
「お前が出てけ」という感じでずっと対応していましたが、これではアカンということで地域の団体やらユニオンやらに電話しました。
「なんか倒産言うてんねヤ。どうしよ?」
「とにかく来てくれ」といったら、即跳んできてもらいました。
そこから社員みんなを集めて、
「この問題は組合として闘っていく。労働組合に結集してくれ」
と集まった人間が22人。
もともとの組合員5人合わせて27人で職場占拠を始めました。
「これから会社を占拠して泊まり込みを始めるので、みんなついてきてくれ」
と、みるみるうちに泊まり込みの体制を作っていきました。だれかの指示を待つわけでなくみんな自発的に行いました。・・・
そして地域の組合の人たちを呼んで、対策会議のようなものを行いました。
一ヶ月後の7月22日に全印総連に加盟、10月3日に支援共闘会議が行われました。その間、南弁護士との対応・仕事が突然止めたため、関連の業者がよくやってきました。営業マンは「こう(倒産)なりました」と得意先に連絡しては自らの責任を果たしていました。
一週間ほどそういう業者とのやり取りがあり、管財人が入ってきたのはずいぶん経過してからのような気がします。
この間、管財人はどうなるか様子を見ていたのではなかったのではないでしょうか。
私たちが泊まり込みをしていた電気代とか支払ったのは管財人でした。印刷工場の電気代はとても高額です。キュービクルという高圧の受電設備があるところは電気代は高く、ひと月80万円ぐらい毎月電気代の請求がきていました。そんな金額労働組合が払えるわけがないのでそういった支払はすべて管財人が支払ってくれました。電気も水道も電話もすべて管財人は止めることはしませんでした。ずぅっと泊まり込んでいたのも管財人は知っていたのです。
「泊まり込み大変でしょう?」
とよく言われましたが、あんまり大変ではありませんでした。
個人的にはそういうしんどさはありませんでした。
「しゃあないなぁ」というところから出発して、あんまり先を考えずに争議というか
「泊まり込みでどうしていこか」と思っていながら、まわりがしっかり支えてくれたことは感謝しています。